稲飯命(神武天皇の兄)が新羅へ行って国王となる

投稿者: | 2018年2月13日

[雑記]

鵜草葺不合尊の息子、稲飯命(イナヒノミコト、稲氷命/彦稲飯命)(神武天皇の兄)が新羅へ行って国王となる。その五世目に当たるのが天之日矛である。天之日矛は弟に新羅王を譲って親元に帰った妻を追って難波に向かうが入れず但馬国に留まる。天之日矛は宝玉を出石に持参しており但馬で暮らす。天之日矛は前津見(マエツミ)を娶って子をもうける。その子孫には多遲麻毛理(タジマモリ、田道間守、多遅摩毛理)や葛城之高額比賣命(カズラキノタカヌカヒメノミコト)がいる。高額比売命は息長帯比売命(オキナガタラシヒメノミコト)の母親であり、息長帯比売命は神功皇后(ジングウコウゴウ)である。三宅(みやけ、屯倉)の先祖は多遲摩毛理である。太平記に幾度と名前を変えて記されている「天、勾践を空(むな)しゅうする莫(なか)れ。時に范蠡 無きにしも非(あら)ず。」で有名な児島高徳の先祖も三宅であり、さらにさかのぼれば出石の田道間守、天之日矛、さらには稲氷命に至る。

 

[検索録]

『新選姓氏録』右京皇別 新良貴条によれば、鵜草葺不合尊(ウガヤフキアヘズノミコト)の息子である稲飯命(イナヒノミコト、稲氷命/彦稲飯命)が、新良国へ行って国王となるとある。
原文は、「彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊男稲飯命之後也。是出ニ於新良国一、即為ニ国主一。稲飯命出ニ於新羅国一王者祖合。日本紀不レ見。」

『但馬故事記』によれば、天日槍(アメノヒボコ、天之日矛)は新羅王の子で、その祖は秋津州(日本の本州)の王子、稲飯命である。稲飯命の五世が天日槍であり、天日槍は弟に国を譲り、但馬国に来るとある。
原文は、「天日槍は、新羅王の子。祖は秋津州(日本の本州)の王子・稲飯命で、天日槍で五世に及ぶ。秋津州に帰りたいと欲し、わが国を弟の知古に譲り、この国に来たる。 (中略) 葛城高額命は、息長宿祢命に嫁ぎ、息長帯姫命を生む。息長帯姫命は、いわゆる神功皇后なり。」

『応神記』によれば、天之日矛は、日本に帰った妻を追うが難波に入れず但馬国に留まるとある。
原文は、「新羅の阿具沼のほとりで、女が日の光にホトを刺されて妊み、赤玉を生む。その様子を見ていた男は赤玉を貰い受け、肌身離さず持ち歩いていた。男は牛を殺そうとした嫌疑を受け、赤玉を天乃日矛に与える。赤玉は女となり、天之日矛の妻となる。妻は親の国の日本に渡り、難波の比売碁曾社の阿加流比売の神①になる。天之日矛は妻を追って来るが、難波に入れず但馬国に留まる。」

以上を、まとめると、鵜草葺不合尊の息子、稲飯命が新羅へ行って国王となる。その五世目に当たるのが天之日矛である。天之日矛は弟に新羅王を譲って親元に帰った妻を追って難波に向かうが入れず但馬国に留まる。

(「稲飯命/鵜茅葺不合尊/天日槍/五十迹手」https://ameblo.jp/iiiiiland7iiiiiland/entry-12129031516.html

『古事記 海幸彦山幸彦』によれば、天津日高日子波限建(アマツヒコヒコナギサタケ)の鵜草葺不合尊は、玉依毘賣命(タマヨリヒメ)を娶って子をもうける。順に五瀬命(イツセノミコト)、稻氷命(イナヒノミコト)、御毛沼命(ミケヌノミコト)、若御毛沼命(ワカミケヌノミコト)で、若御毛沼命の別名は豊御毛沼命(トヨミケヌノミコト)、神倭伊波禮毘古命(カムヤマトイワレビコノミコト)であり神武天皇だ。稻氷命は他国へ入る為に海を渡ったとある。
原文は、「是天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命、娶其姨・玉依毘賣命、生御子名、五瀬命、稻氷命、次御毛沼命、若御毛沼命、亦名豐御毛沼命、亦名神倭伊波禮毘古命。四柱。故、御毛沼命者、跳波穗渡坐于常世國、稻氷命者、爲妣國而入坐海原也。」

以上を、まとめると、鵜草葺不合尊の息子、稲飯命は神武天皇の兄である。稲飯命は海外へ行った。
(「古事記 上卷-7 海幸彦と山幸彦」http://www.seisaku.bz/kojiki/kojiki_07.html

天之日矛は宝玉を出石に持参しており但馬で暮らす。天之日矛は前津見(マエツミ)を娶って子をもうける。その子孫には多遲麻毛理(タジマモリ、田道間守、多遅摩毛理)や葛城之高額比賣命(カズラキノタカヌカヒメノミコト)がいる。高額比売命は息長帯比売命(オキナガタラシヒメノミコト)の母親であり、息長帯比売命は神功皇后(ジングウコウゴウ)である。
原文は、「又昔、有新羅國主之子、名謂天之日矛、是人參渡來也。所以參渡來者、新羅國有一沼、名謂阿具奴摩。自阿下四字以音。此沼之邊、一賤女晝寢、於是日耀如虹、指其陰上。亦有一賤夫、思異其狀、恒伺其女人之行。故是女人、自其晝寢時、妊身、生赤玉。爾其所伺賤夫、乞取其玉、恒裹著腰。此人營田於山谷之間、故耕人等之飮食、負一牛而入山谷之中、遇逢其國主之子・天之日矛。爾問其人曰「何汝、飮食負牛入山谷。汝必殺食是牛。」卽捕其人、將入獄囚、其人答曰「吾非殺牛。唯送田人之食耳。」然猶不赦。爾解其腰之玉、幣其國主之子。

故、赦其賤夫、將來其玉、置於床邊、卽化美麗孃子、仍婚爲嫡妻。爾其孃子、常設種種之珍味、恒食其夫。故其國主之子、心奢詈妻、其女人言「凡吾者、非應爲汝妻之女。將行吾祖之國。」卽竊乘小船、逃遁渡來、留于難波。此者坐難波之比賣碁曾社、謂阿加流比賣神者也。於是天之日矛、聞其妻遁、乃追渡來、將到難波之間、其渡之神、塞以不入

更還泊多遲摩國、卽留其國而、娶多遲摩之俣尾之女・名前津見、生子、多遲摩母呂須玖。此之子、多遲摩斐泥、此之子、多遲摩比那良岐、此之子、多遲麻毛理、次多遲摩比多訶、次淸日子。三柱。此淸日子、娶當摩之咩斐、生子、酢鹿之諸男、次妹菅竈上由良度美。此四字以音。

故、上云多遲摩比多訶、娶其姪・由良度美、生子、葛城之高額比賣命。此者息長帶比賣命之御祖。故其天之日矛持渡來物者、玉津寶云而、珠二貫・又振浪比禮比禮二字以音、下效此・切浪比禮・振風比禮・切風比禮、又奧津鏡・邊津鏡、幷八種也。此者伊豆志之八前大神也。」
(「古事記 中卷-6 應神天皇」http://www.seisaku.bz/kojiki/kojiki_13.html

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/17/Jingu.jpg

(https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/17/Jingu.jpg)

三宅(みやけ、屯倉)の先祖は多遲摩毛理である。天皇は他国へ派遣したちばなの実を持参するよう命じた。
原文は、「又天皇、以三宅連等之祖・名多遲摩毛理、遣常世國、令求登岐士玖能迦玖能木實。自登下八字以音。故、多遲摩毛理、遂到其國、採其木實、以縵八縵・矛八矛、將來之間、天皇既崩。爾多遲摩毛理、分縵四縵・矛四矛、獻于大后、以縵四縵・矛四矛、獻置天皇之御陵戸而、擎其木實、叫哭以白「常世國之登岐士玖能迦玖能木實、持參上侍。」遂叫哭死也。其登岐士玖能迦玖能木實者、是今橘者也。」
(「古事記 中卷-3 垂仁天皇」http://www.seisaku.bz/kojiki/kojiki_10.html

太平記に幾度と名前を変えて記されている「天、勾践を空(むな)しゅうする莫(なか)れ。時に范蠡 無きにしも非(あら)ず。」で有名な児島高徳の先祖も三宅であり、さらにさかのぼれば出石の田道間守、天之日矛、さらには稲氷命に至る。
原文は、「○備後三郎高徳事付呉越軍事 
其比備前国に、児嶋備後三郎高徳と云者あり。主上笠置に御座有し時、御方に参じて揚義兵しが、事未成先に、笠置も被落、楠も自害したりと聞へしかば、力を失て黙止けるが、主上隠岐国へ被遷させ給と聞て、無弐一族共を集めて評定しけるは、「志士仁人無求生以害仁、有殺身為仁。」といへり。されば昔衛の懿公が北狄の為に被殺て有しを見て、其臣に弘演と云し者、是を見るに不忍、自腹を掻切て、懿公が肝を己が胸の中に収め、先君の恩を死後に報て失たりき。「見義不為無勇。」いざや臨幸の路次に参り会、君を奪取奉て大軍を起し、縦ひ尸を戦場に曝す共、名を子孫に伝へん。」と申ければ、心ある一族共皆此義に同ず。「さらば路次の難所に相待て、其隙を可伺。」とて、備前と播磨との境なる、舟坂山の嶺に隠れ臥、今や/\とぞ待たりける。臨幸余りに遅かりければ、人を走らかして是を見するに、警固の武士、山陽道を不経、播磨の今宿より山陰道にかゝり、遷幸を成奉りける間、高徳が支度相違してけり。さらば美作の杉坂こそ究竟の深山なれ。此にて待奉んとて、三石の山より直違に、道もなき山の雲を凌ぎて杉坂へ着たりければ、主上早や院庄へ入せ給ぬと申ける間、無力此より散々に成にけるが、せめても此所存を上聞に達せばやと思ける間、微服潛行して時分を伺ひけれ共、可然隙も無りければ、君の御坐ある御宿の庭に、大なる桜木有けるを押削て、大文字に一句の詩をぞ書付たりける。天莫空勾践。時非無范蠡。
「○三宅・荻野謀叛事付壬生地蔵事 
其比備前国住人三宅三郎高徳は、新田刑部卿義助に属して伊予国へ越たりけるが、義助死去の後、備前国へ立帰り児島に隠れ居て、猶も本意を達せん為に、上野国に坐ける新田左衛門佐義治を喚奉り、是を大将にて旗を挙んとぞ企ける。此比又丹波国住人荻野彦六朝忠、将軍を奉恨事有と聞へければ、高徳潜に使者を通じて触送るに、朝忠悦で許諾す。両国已に日を定て打立んとしける処に、事忽に漏聞へて、丹波へは山名伊豆守時氏三千余騎にて押寄せ、高山寺の麓四方二三里を屏にぬり篭て食攻にしける間、朝忠終に戦屈して降人に成て出にけり。児島へは備前・備中・備後三箇国の守護、五千余騎にて寄ける間、高徳爰にては本意を遂る程の合戦叶はじとや思けん、大将義治を引具し、海上より京へ上て、将軍・左兵衛督・高・上杉の人々を夜討にせんとぞ巧ける。」
(「太平記巻第四」「太平記巻第二十四」http://www.j-texts.com/taihei/thkm2.html

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/1a/Sasaki_Toyokichi_-_Nihon_hana_zue_-_Walters_95205.jpg

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