たまには雑記

投稿者: | 2014年6月24日

人を善悪に分けて考えた場合、

善人があるから、悪人があり、
悪人があるところ、善人あり。

となる。一体不可分である。

故に、善が悪を滅ぼせば、
善が失せるか、善が悪に転換する。
悪が善を追い込めば、
返って善が増すのである。

故に、国乱れて忠臣現るのであり、
その混乱が増せば増すほど、
凡人すらも忠臣になりはじめる。

ここで言う国とはnationではなく、生業に励む集団である。

国にあるべきは、生産であり建設的な思考である。
故に、他国の凡ゆる挑発に乗ってはならなず、妨害があっても、建設的な思考と生産活動を続けるように仕向けるのが忠臣である。
そこに反撃の道具や策略に考えを巡らすなら、既に、自活の道を外れているのである。

拝金主義は、人々にお金を追い求めさせた。これにより、人は掴んだお金を離さなくなる一方でさらなるお金を求めて動き回った、そこに何ら生産性はないし建設的思考もない。

しかし、お金を取られる事はあっても、その他の必需品は取られる事が極めて稀な社会となったことは歴史的に観ても非常に望ましい状況ではある。

故に生活必需品が高価であったり、大事な物とお金がリンクする保険のようなシステムは排除しなければならない。

そのためには、国内での自給が急務なのである。建前はそうでなくとも、実質は自給出来ていなければならない。

それがあって、ようやく、国内外別通貨が実現可能なのである。

ただし、通信回線など情報のインフラのみはその限りではない。また国内外別通貨の意義については秋頃に述べようと思う。

自給体制を壊そうとした結果返って、その体制を堅持させてしまう事になるのは、道理である。

これは、繰り返すが作用と反作用などと言うのではなく、同期している両面の成り行きなのである。

破壊活動やすり替えや言い訳を行っている間はルーティーンワークはこなせても、イノベーションはスローガン止りになる。

技術開発は、頭だけでなく「手を動かして現場に入って得られるもの」であり、その巨大な暗黙知の上に成立するものである。

記述のみで理解するなど、見たこともない風景を随筆にするようなもので、せいぜい馬謖の辿った運命を上回る事はない、と言ったところであろう。

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